学校のテストが「ゲーム」としてつまらないのは「満点」が取れるから
今日は自分語り。
ちょっと前の記事ですが、こちらを読んでいて思ったこと。
ゲームにおいて、「上を目指す」という欲求から逃げている、という話: 不倒城
上記の書き手の方は、シューティングゲームのスコアランキングで一回だけ全国一位になった時のことを書いています。
これを読んで、そういえば自分も一度だけ全国一位になったことがあったな、と思い出しました。
自分の場合はゲームではなく勉強でした。
たしか中学三年の頃だったと思いますが、複数の塾が主催している全国統一模試で国数英の三教科の合計で全国一位になったことがあります(自慢)。
ただ、自慢と書きましたが別にこのときは(今でも)たいしてうれしくなかったんですよね。
上記の記事を読んでいて、自分が全国一位をとっても嬉しくなかった理由がなんとなくわかった気がしました。
一位を取ること、満点を取ること
まず、そもそも自分は一位が取りたい、取るぞという気持ちを持って試験に臨んだわけではありませんでした。
気持ちの問題ですね。
もともとあんまり難しいタイプの試験ではなかったので、ミスがなければ点数がよくなる。
自分はその時たまたまミスがなかったので、全教科満点を取って全国一位でした、以上みたいな。
取るべくして取った、というより結果論というか棚ぼたというか、そんな感情が強かったです。
上記の点は当時からわかっていたことですが、今回自分なりに発見したのはここから。
自分の一位の取り方として、「満点」だったことがその嬉しくなさに拍車をかけているな、ということがはっきりしました。
前述したように、簡単なテストだったのでミスがなければ100点。3教科で全部100点だったので300点。
満点なんだから、それ以上の点数をとれる人などいるわけもなく、当然に一位である、と。
この「当然に一位」という感覚が、一位であることよりも、満点であることが前面に出てしまい、一位を取った感の喪失につながっている部分が大きいのかも、と思い至りました。
自慢話はここまでにして、ゲームの設計として、この「満点をとることが可能かどうか」というのは非常に重要な考え方だな、と感じました。
満点というのは、何のミスもなく完璧ということなので一見素晴らしいですが、ゲームにおいては、簡単に満点が取れてしまうとやりこみ意欲をそがれることにもつながります。
なので、ゲームバランスという意味では多くのゲームが簡単に満点を取れないように、ちょっと難しい部分を用意して設計するわけです。
これは個別のゲームの設計においても重要な点ですが、ゲームセンターにおけるゲーム史を振り返る意味でも重要な気がします。
STGが格ゲーに敗れた理由
最初に紹介した記事でも触れられていたシューティングゲームのハイスコア競争。
シューティングゲームは今でこそちょっとマニアックなジャンルですが、かつてはゲームセンターの花形でした。
ゲーメストなどのゲーム雑誌には必ずハイスコアランキングが特集され、そこに載るためにゲーマーたちは日夜しのぎを削ったものです。
ところが、シューティング全盛の時代は、ストⅡの登場を契機とした対戦格闘ゲームの隆盛により、終わりを迎えます。
このゲームセンターにおける主要ジャンルの交代は、先ほどの「満点を取ることが可能かどうか」で説明できる気がするのです。
一般的なシューティングゲームは当然、ゲームバランスの調整により満点を取ることなどできません。
が、「理論上の満点」は存在します。
コンピューター相手のゲームの限界とも言えるかもしれませんが、登場する敵を全て倒し、出てくるアイテムを全て取り、敵に一回もやられなければ理論上は満点です。
機体の動くスピードなどの問題で、全ての敵を倒すことはできなくなっていたりするものですが、そういった理論上の限界を設定したうえで、到達可能な満点は存在する、ということになります。
(余談ですが、シューティングゲームはその満点の理論が次々と新たな理論によって塗り替えられていくのが面白さだったりしますが)
それに引き換え、対人戦である対戦格闘ゲームには満点というものがありません。
あまりに弱い格下の相手をノーダメージで倒せば、画面にはPERFECT!と表示されますが、これは対戦格闘ゲーマーの求める「満点」ではないはずです。
おそらく、対戦格闘における満点というのは、世界最強のプレイヤーに勝つことだと思いますが、相手は人間なので、相手のスキル、戦法、その日の調子などによって左右されるので、決して満点という部分が存在しないジャンルだと言えます。
全国一位を決める大会なども開催されますが、これも勝つか負けるか、多くの場合はトーナメントの一発勝負なので、運の要素もはらむ分、限界、満点という部分が見えづらい評価手法と言えるのではないでしょうか?
対戦格闘ゲームはこの「満点の取りづらさ」を理由に、シューティングゲームよりもエキサイティングな競争を提供することが可能になり、ゲームセンターでの主役の座を獲得したと考えられます。
だからゲームは面白い
最後に、この「満点の取りやすさ」という指標はいわゆるテレビゲーム、ビデオゲーム以外でも適用できる話だと思います。
例えば、勉強だって一種のゲームですので、勝ち負けを競争したほうが絶対に楽しいはずです。
その際も指標となるテストの難易度としては、簡単に満点が取れるものより、満点がなかなか取れないレベルに設計したほうが、競争は盛り上がると思います。
もしくは、そもそも満点(理論上の最高点)が存在しないような評価手法に変えてしまい、(それでもゆとりではなく)明確な勝ち負けの評価を作ってみると、プレイヤー側に勝負に勝つための工夫が生まれやすくなりますので、もっともっと勉強が楽しくなると思います。
これは人生だって同じ。
人生はそれこそ満点の存在しないゲームなので、本当に楽しいのだと思います。
人生ゲーム。
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