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仕事ができない人は「アナロジー思考」ができない

Webでは伝統芸能となりつつある「仕事ができる/できない人は○○だ」という文章。

自分もこのあたりは一家言を持っているので書き散らしておきます。


自分の考える仕事ができない人間とは、ずばり「アナロジー思考」ができない人間だと思っています。


「アナロジー思考」とは何か

アナロジー思考とは、物事を抽象化して捉える能力のことです。

自分はこちらの本で、その概念を知りました。

アナロジー思考

アナロジー思考

「抽象化する」とは、例えば犬を見たら動物の一種だと思うとか、イギリス人を見たら欧米人だと思うとか、そういうことです。

つまり、ある観察された事象を、一段階上の概念の一種として認識すること、または、その観察された事象がどのような集団に属するかを判別すること、と言えます。

何言ってるかわからないですね。

ちょっと具体的に見ていきましょう。


アナロジーの具体的な流れ

例えば、自分の目の前で近所で飼われている柴犬のタローが、後ろ足を上げて小便をしたとします。

このような事象を観察したときに、どのように捉えるかがアナロジーの上手い下手につながります。

アナロジー思考が苦手な人は、タローの動作はタローの動作としてしか認識しません。

なので、次に別の犬、ジローが同様に後ろ足を上げて小便をしていても、初めての発見であるか、もしくは何も感じないことになります。

反対に、アナロジー思考ができる人は、最初のタローの動作を観察したときに、抽象化して物事を捉えます。

例えば、

「タローは柴犬なので、これは柴犬共通の動作かもしれない」

「柴犬は犬なので、これは犬共通の動作かもしれない」

「犬は四足歩行なので、四足歩行動物に共通の動作かもしれない」

「タローは東京都に住んでいるので、東京都に住んでいる犬に共通の動作かもしれない」

などといった具合に、観察したタローという事象が属する集団に共通する事象として仮説を膨らませることができます。

すると、別の犬、ジローの動作を観察した際の反応として、

「ジローはタローと同じ犬なので、やはり後ろ足を上げて小便をした」

というように、新鮮な驚きではなく、以前立てた仮説の証明、といった考え方ができるようになります。

このように、一つの観察された事象を抽象化、グルーピングすることで、観察された物事だけにとどまらず、仮説、アイディアを膨らませていくことができるのが、アナロジー思考のメリットです。


アナロジーの応用事例

さらに、アナロジー思考は分析と組み合わせることで、さらに発展的な仮説の展開をもたらします。

例えば、先ほどのタローの小便の事例で行くと、

「タローは柴犬なので、これは柴犬共通の動作かもしれない」

が、最初にあります。

次に、秋田犬のジローでも同様の事例を観察したとします。

「秋田犬のジローもタローと同じ動作をしていた。ということは柴犬にとどまらず犬共通の動作である可能性が高い」

さらに、正体不明の動物、サブローが足を上げずに小便をしていたのを目撃します。

「サブローは犬共通の動作を行っていない。ということはサブローは犬ではない可能性が高い」

といった具合です。


観察された事象を抽象化して共通項を見出すことを第一段階として、その共通項を新たなルールに観測を進めていくことができるわけです。


仕事におけるアナロジーの影響

こういった手法は仕事でもよく使われます。

アナロジー思考ができる人というのは、上記のように一つの観察事象から得られる情報量が、できない人に比べてはるかに多いです。

なので、ブレストなどをしていても、過去のさまざまな事象を組み合わせながら飛躍させることができるので、アイディアの広がりが大きいです。

また、一つミスをしたときに、抽象化することでパターン化できるので同じミスを繰り返さないという面もあります。

よく、仕事ができない人は毎日同じようなミスを繰り返して上司に怒られていると思いますが、それは注意力が足りないとか反省が足りないとかに加えて、アナロジーができないので、同じ種類のミスだと気づいていない、という可能性が高いです。

さらに、アナロジー思考ができない人は、議論の場でも後れを取ります。

抽象化というのは議論の場においては「例え話」として表れます。

ときに空中戦とも言えるような例え話の応酬になることが会議の場ではありますが、アナロジー思考ができない人は、的を得ない例え話を持ち出したり、そもそもなぜそのたとえをしているのかが理解できずに、呆然とすることになります。

そのくせ仕事ができない人に限って、人のアイディアを否定するときは「違和感がある」とかめちゃくちゃ抽象化され過ぎた批判をしてくるので困りもんです。(これは蛇足)


アナロジー思考を身につけるために

最後に、そんな便利なアナロジー思考ができる側の人間になるにはどうすればいいか。

アナロジー思考ができるようになるための要素は大きく二つに分けられます。

「意識」と「知識」です。

まず、そもそもの「意識」として、物事を観察したときに意識的に抽象化して考える訓練を積む必要があります。

一を聞いて十を知るかのように、目の前で起こったこと以上の情報を吸収しようとする意欲が必要になります。

そして、もう一つ必要なのが「知識」です。

観察されたある事象が、抽象化された時にどういった集団に属するか、というのは言わば体系だった知識の問題です。

また、抽象化したものを過去の事例と比較、分析するためにも、過去の事例という知識が必要です。


アナロジー思考は得手不得手はあるものの、そこそこの頭の回転があれば誰でも訓練して身につけられる考え方だと思います。

「意識」と「知識」を身につけて、ぜひアナロジーと仕事のできる人間を目指してはいかがでしょうか。