最近の少子化対策をめぐる議論の論点を整理してみた
最近、少子化対策としての子づくり論議が熱くなっています。
日本の出生率を上げようよ、平たく言うと子供生もうよ(山本 一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
発端は前者の記事なんですが、そちらのブックマークコメント欄では比較的、子作り奨励反対派の方が多いようですね。
この件に関する自分のスタンスを軽くまとめておきます。
まず、国民の自由と国家の政策では国民の自由が優先されるというのが大前提。
国家の未来のために犠牲になれ、というのはよくないですね。
子供を作るも作らないも個人の自由。
あくまでそこは国民主権です。
ただ、完全に個人の自由意思に任せるのであれば、そもそも国家は不要となってしまいますので、国家が国家として存在する以上は、なんらかの方向性、ビジョンをその構成員である国民に提示するというのは重要、というかやってもらわないと困ります。
で、その政策の中に個人の一人一人の意思とは反する場合もある、「少子化対策」という項目が入ってきているのが今なんだろうなと。
国家としては、少子化対策を推し進める理由は多々あります。
医療の進歩により、働けない老人が社会にあふれてしまったので、誰かが世話しなくちゃいけないとか。
マクロな視点で見ると、人口の減少は技術や文化の衰退につながるとか。
なので、国家としては良かれと思って、広い視野で見れば国民の大多数の幸福にもつながると思って、少子化対策を推し進めようとするわけです。
ただ、やはり必要以上に個人の自由を制限してはいけません。
例えば、子どもを作ることを国民の義務として非国民扱いしたり、子どもが作りたいのにさまざまな理由で作れない人まで課税対象などとするのはいかがなものでしょう?
あくまで、個人の自由、つまり、生みたくない人は生まなくてもまあ許される、けど、大きな流れの中では大多数の人が、子ども作ろうかな、と思える社会を目指す必要があるわけです。
政治の世界なんてのはそのバランスを取っているものだと思うので、今はその議論の過程なんじゃないかと思いますね。
個人的には、不当に個人の意思を侵害しない範囲であれば、少子化対策を行うことも合理的だと思います。
例えば、生みやすい環境を整備したり、生んだ後に暮らしやすい環境を整備したり、ですね。
また、その原資を生み出すために、子どもを産みたくない人々から徴収するのも有効だと思います。
ただ、あくまで優先されるべきは意思なので、生みたくても生めない人には何らかの救済措置を講じる必要があるとも思います。
究極的には、少子化対策のための原資の調達は老人世代から行ってほしいな、と思いますが。
現役世代の間で、子どもを産みたい人と生まない人で所得を移転してもあまりね。無用な軋轢を生むのどうかと。実務として子供を産む世帯を支えるのは、子どもを産まない世帯だったりしますからね。
春の去った老人は間違いなく、生殖機能がないわけなので、そういう意味では真っ先に搾取されてしかるべきだと思います。
この辺は、何のための少子化対策なのか、をはっきりさせればおのずと選択肢は限られてくる気がしますね。
老人たちが自分たちの老後を謳歌するために、搾取対象としての若い奴隷を増やせと言っているのか。
それとも、自分たちのことではなく国家全体、種族全体の未来を考えて、利他の心で未来の担い手を増やしたいと思っているのか。
政治家や公務員などの議論でよく「身を切る改革」という言葉が使われますが、少子化問題についてもこのあたりの論点を明確にしてから進んだ方がいいと思います。