高齢化社会の到来による若者と老人の仕事の取り合いの行く末を本気出して考えてみた
高齢化社会の影響の一つとして、今までよりも遅い年齢まで働き続けなければならない、と言われています。
増加する年金など社会保障支出を抑えるためには、年金をあげなければいい。
つまり、高齢者にも働いてもらえばいい、という発想になるようです。
それって年金制度そのものの否定なんじゃ。。。という突っ込みはさておき、そうなってくると表面化してくるのは若者と老人との仕事の取り合いです。
こんな記事が流れてきました。
求人が増えても就職できない!? ハローワークに集まる“怪しいお仕事”の実態|「引きこもり」するオトナたち|ダイヤモンド・オンライン
ハローワークは空求人ばかりで、実際のところ中高年が再就職できるような機会は多くない、という内容です。
その全体感はさておき、この中には気になる記述が。
「国がデータ入力作業などの仕事をたくさん出しているのに、特定の大企業や団体に発注されている。国が中高年向けの仕事を発注するようなシステムができるといい。入札案件も山ほどありますが、中高年には仕事が回ってきません。十分利益を上げているような企業が持って行ってしまうのです」
なんともハローワークに通うことになりそうな、他人任せの意見ですが。
国が特定の大企業と蜜月関係にあるのは良くないことだとは思いますが、その結論として中高年に仕事を回すべき、というのはいかがなものか。
実際のところ、一般的には正社員の65歳以上の再雇用義務化などにより、仕事を手に入れやすくなっているのは中高年で、割を食っているのは若者ではないかという意見もあります。
そう考えると、上記のような国関係の労働なんかは若者の側に率先して回すべきな気がします。
というか、税金の効率よい使い道、という観点で考えるとそんな年齢なんかで切るのではなく、より安いコストでより高いパフォーマンスを出せる人材に依頼してほしいと願わんばかりです。
それはさておき、仕事がない仕事がないというのが社会問題の一つになってますね。
でも、仕事がないのってそれほど問題なんでしたっけ?
機械化、IT化、グローバル化の中では仕事、というか職にありつける人間の数はどうしても減っていくものなので、その流れに逆らうのが無理があるのではないかと思います。
無理せず流れに乗って仕事を失ってみれば、生活保護などのセーフティネットも存在するわけで(適切に機能しているかはまた別問題ですが)また別の景色も見えてくるのではないかと思ってしまいます。
せっかくなので、仮に誰も何もしないで今の高齢化社会+グローバル化+失業という時流に乗ってみたらどうなるか考えてみましょう。
まず、グローバル化により日本人と途上国人の出せる成果に差がなくなっていきます。
すると、当然のことながら給与、採用は均衡点を探る形になりますので、日本人の所得減少と失業増加につながります。
ここで、新しい人手を求めている業界に労働力の移転が起こればいいのですが、当然それらの業界もグローバルなわけで、古い業界と同じく世界中の人たちとの労働競争ということになります。
となれば、基本的には今よりも大多数の人が職を失うほかありません。
スラムのグローバル化とでもいうのでしょうか?
今までは世界単位で見ると、先進国に富裕層が集まり、途上国には貧困層が集まっていました。
グローバル化の中ではこの枠組みすら緩やかに崩れていくわけなので、途上国の貧困層が減り、反対に先進国に貧困層が増えることになります。
前述したようなグローバル化の荒波にもまれ、職を失った日本人はその先進国の貧困層に軒をつらねることになるわけですな。
で、この人たちの生きる手段はというと生活保護などの社会保障、税金、つまりは富裕層の人たちからの所得の再分配ということになります。
この仕組みがいつまで持つのはかはわかりませんが、少なくとも均衡点に収まるまでは続くのでしょう。
崩壊のパターンとしてあるのは、既に多くの先進国がそうであるように、膨れ上がる社会保障費を背負いきれなくなることです。
生きていくに足る配分を受け取れなくなった貧困層は野垂れ死ぬか、さもなくば暴動、革命という流れでしょうか。
このパターンは怖いのでできれば避けたいですね。
もう一つのパターンは、貧困層が増えすぎて消費する層がいなくなり、富裕層を維持するビジネスが崩壊するパターンです。
こうなると富裕層が困ってしまうので、暴動の前に揺り戻しをかける、つまり貧困層の中でもある程度には分配が与えられて社会が維持される、という可能性があります。
最後のパターンとしては、社会の大多数が職を失う、イコール効率化された社会になることで、生活保護が弱者ではなく普通の層になるというパターンです。
仕事をしているだけでセレブ。仕事をしていないのが普通。なので特に思い悩むことはない、少なくとも生きるだけなら。
このパターンが私の理想ですね。働きたくない。
いずれにしろ、短期的なスパンで見れば労働力や所得の移転、階層の変化は起こるでしょうが、長期的なスパンで見れば必ずどこかで揺り戻しがあります。
その揺り戻しは地震と同じで、パワーを貯めれば貯めるほど大きなものとなりますので、今までの社会や価値観をぶち壊しながら戻ることになる、とまあそれだけでしょう。
そういった社会体制が崩壊するのを防ぐために、溜まったパワーを逃がすというか、小規模な揺り戻しを繰り返す存在として国家なり政府が存在するわけで、さらに国家や政府の中枢の担い手には、富裕層として現行の社会体制を維持するインセンティブが働くので、うまいこと再分配を行ってくれるのではないかと期待します。
また、そんな揺り戻しを行いながらでも少しずつ着実に、世の中全体はより便利に強く進化していきますので、一定の閾値を超えれば、ただ生きるだけなら仕事が必要ない時代もいつか来るかもしれません。
とはいえ、直近で自分を相対的な富裕層に位置付けるためにはどうすればいいかというと、競争相手よりも優れた人材であり続けるしかないわけで、能力を磨くか、勝てるフィールドを探すのか、どちらかしかないのではないですかねえ。