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面白きこともなき世を考えて

子育てと競争戦略とゲームと日々のあれこれを適当に。

自分の考える「平等な社会」を格闘ゲームに例えてみた

今日は社会というものに対する自分なりの考え方を書こう。

テーマは「弱肉強食の社会と社会保障の手厚い社会はどちらが平等なのか」というものです。

けっこう人によって価値観の違う、永遠のテーマだと思います。


平等と競争のジレンマ

まずはじめに、自分はどちらかというと弱肉強食の方が好きな人間です。

経済で言うと完全な市場原理主義者。

強い者が勝ち、弱いものが負ける、そういうシンプルな構図こそ平等だと思っています。

ただ、完全なる自由競争しかないのであれば、国家が存在する意味がないので、上記は現実的ではないというのもわかっています。

国家社会が存在する理由は、やはり所得の再分配だったりで、強いものから弱いものへモノやカネを移動させて、弱いものが負けすぎないようにする、もしくは格差を固定化させないことに一つの意味があると思います。

なので、ある程度の社会保障、福祉的な機能というのは必要だろうと思います。

ただ、行き過ぎた社会保障というのは、つまるところ勝っても負けても利得が同じような状態を意味しますので、これはすなわち社会主義国家という形になってしまうでしょう。

社会主義国家が自由競争を原則とする資本主義国家に対して、敗北してきたのは歴史の示す通り。

このあたりのバランスをどのように取るかが、「平等な社会」を目指すうえでの論点になるんでしょうね。ざっくり言うと。


現代日本の抱える悪平等

ちなみに、現在の日本の社会保障制度は、正直やり過ぎな社会保障のレベルになってしまっていると思っています。悪平等と言いますか。

以前、麻生太郎さんが「なんで努力して健康を維持している自分が、不摂生している馬鹿どもの医療費を負担しなきゃいけないのか」みたいな趣旨の発言をされていましたが、まったくもってその通りだと思います。

医療費負担で麻生副総理「暴飲暴食で糖尿病のツケ払うのは不公平だ」 - MSN産経ニュース

健康な人、金持ちな人からの再分配によって医療費が軽減されることで、返って不健康のリスクを軽視するようになり、病院に通いづめになってしまっては本末転倒です。

不健康であり続けることは、仕事をする上でも障害になるので、そういう意味でも格差の固定化につながる部分です。

嬉しいのは、自分の負担が少ないからと気軽に来て、金を落としてもらえる病院などだけです。

こういった悪平等を是正するために、もう少し健康であることへのインセンティブを設けて、病気の人が健康になろうと努力する流れを生み出さなくてはいけないと思います。

もちろん、重い障害や病気を持って生まれた子どもなどの医療費、手術代とかは惜しむべきではないと思いますが、高齢者とかの軽い病気とかはねえ。


そういえば、所得の再分配を行った結果、日本ではむしろ弱者から強者が搾取する構造、再分配されるとなぜか弱者の負担が増す、という結果も公表されていました。

これは悪平等どころか完全な不平等なので、なんとか改善したいですね。

なんかこのへんは、自分の感覚である社会保障が手厚すぎるという実感と反対の事実になりますが。

おそらくは、誠実で努力して自立して暮らそうとする良識な貧乏人には適正な再分配がもたらされず、怠惰でも悪人でもわがままでも、ただ高齢である、ただ病気であるというだけの人たちが画一的に福祉の対象になる結果として、全体で見ると格差が拡大、固定化されているのに、一方で社会保障が手厚すぎると感じるんでしょうね。

生活保護受給者を叩くような流れも同じ話だと思います。

年齢や就労の有無といった表面的な線引で再分配するのではなく、もっと救われるべき人だけが救われるようにルールを変更していく必要があるのでしょう。

要するに、無駄が多いんです。


平等の考え方を格闘ゲームに例えてみる

最後に、平等をめぐる価値観をわかりやすく定義するために、大好きなゲームに例えてみます。

今回は格闘ゲームです。

私が考える平等な競争社会というのは、プレイヤーが選択できるキャラクターに強キャラや弱キャラ、様々な個性を持つキャラクターがいるけど、弱キャラも工夫、戦術、プレイヤースキル次第では強キャラに勝てるようなゲームバランスを指します。

全キャラクターが強さの変わらない状態で固定されてしまうと、これは平等かもしれませんがゲームとしてはあまり面白くないでしょう。これが社会主義です。

強キャラを使って特定の技さえ出していれば、弱キャラがどんなに工夫しても勝てない、ハメみたいなものが横行するゲームも面白くありません。これが格差の固定です。

最後に、見た目はBBAみたいで一見、弱キャラなんだけど、倒しても倒しても次のキャラがゾンビのように出てきて、最後は数の暴力で押し切ってくる、とかいう格闘ゲームがあったらこれもクソゲーと呼ばれますよね。

でも、これが団塊の世代以上を中心とした、民主主義という名の数の暴力による若者への抑圧が横行している今の日本です。

「人生はクソゲー」とか若者に言わせてしまうような現代日本です。

こんな状況を打破して、人生を「平等で面白いゲーム」にするためには、やはりルールを作り変えていくしかありませんね。



新・豪血寺一族-煩悩解放-

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