面白きこともなき世を考えて

子育てと競争戦略とゲームと日々のあれこれを適当に。

済美高校の安楽投手の戦略家としての巧みなポジショニングを称賛する

我が地元、埼玉県勢の浦和学院が優勝したこと以上に、済美高校のエース・安楽智大投手の登板過多について議論が盛り上がっているようですね。

「野球が出来なくなるかもしれない」程度の理由で、他人の人生に口出しはできないと思う件。 : スポーツ見るもの語る者〜フモフモコラム


世間では、

「体を壊したら可哀そうだから交代させてやるべきだった」
「甲子園にかける熱い思いがあるから投げさせてやるべきだ」

という大エースへの依存に対する肯定派と否定派に分かれているよう。

ちなみに私としては上記記事と同様に、「投げたいなら投げればいいじゃん」という本人の意思尊重派を取りたいと思っています。


そもそもですが、安楽投手のポジショニング(野球ではなく人生の戦略の)から考えるに、彼が投げ続ける以外の道はなかったと思うので、勝手な想像ですが安楽投手も納得づくで投げていたのではないかと思います。

だって、5試合で772球も投げていたらしいじゃないですか。尋常じゃない。

これはつまり、済美高校が大エースの安楽投手を主戦力とした、いわゆるワンマンチームであることの裏返しでもあるわけですよね?

であれば、投げ続けるしかないじゃないですか。

退くも地獄、進むも地獄、ではないですが、仮に安楽投手を交代させたところで、より早い敗北が待っていただけのような気がしてなりません。

しかも、彼は狙ったのかどうかわかりませんが、この球数過多問題で一気に知名度を上げました。

体のことを考えて、早めにマウンドを降りていたらスカウトの目にも留まらず、反対にプロ野球への道は閉ざされていたのでは、と思ってしまいます。

プロを目指すなら体を壊す前にやめるべき、という意見もありましたが、どちらかというとプロを目指していたからこそ、投げ続けて前のめりに倒れるしか道はなかったんじゃないでしょうか?


競争戦略においては、競争相手のいないポジショニングを取ることは極めて重要です。

その観点で行くと、他に例のない球数で、仮に能力が同程度の投手が他にいたとしても、彼らとの差別化が行われるには十分だったと思います。

今回の安楽投手の投球数については、彼が心の底から望んだことかは知りませんが、彼の置かれた状況ではきわめて有効であり、狙って行われたことであると信じたいです。

あれほどの投球数を誇ったことで、安楽投手自身の能力をスカウトに見せつけると同時に、強力なニュースバリューで野球ファンに自らの名前を売り込みました。

そんなプロを目指すという方向性だけでなく、目の前の目標である甲子園優勝に対しても、それが最も効果的な打ち手であったことは明らかです。

一挙両得の巧みな戦略と言わざるを得ません。


最後に、スポーツとしての高校野球についてちょっとだけ。

アイディアとして球数制限論なんて出ていましたが、本当にそんなことしていいんでしょうか?

普通に考えると、それは済美高校のようなワンマンチームの勝機をつぶすことにつながると思うのですが。

全体としてはパッとしなくても、一人のヒーローがいることで勝ちあがっていけるのが一発勝負のトーナメントの面白いところなのに、高校野球のアマチュアならではの面白さを一気に殺すことになると思います。

アマチュアだから色々と制限すべき、との考えもあるかもしれないですが、アマチュアだからこそ色々とつまらない制限を撤廃して、長所を最大限に発揮した試合ができるように整えたほうが選手にとっても大会にとってもいい気がします。


しかも、そんなことになればすぐに層の厚いチームが有利とわかるので、チーム力の強い、私立のスカウトばりばりしているような学校に優秀選手が今以上に集まりやすくなります。

それじゃつまらないセリーグと一緒じゃないですか。

金にモノを言わせた巨人軍ばっかりに良い選手があつまって、資金不足のチームを無双していくのを見て楽しいですか?(いや、日本人は好きなのかもしれないが)


高校球界の皆さまにおかれましては、ぜひつまらない規制をすることなく、なるべく多くの選手、チームが個性を発揮して戦えるようなスポーツを目指してほしいものです。