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面白きこともなき世を考えて

子育てと競争戦略とゲームと日々のあれこれを適当に。

高齢化社会だからこそより優れた若者に権限移譲しよう

たまには少子高齢化を肯定する理由があってもいいかもしれない。

「尊敬できない年上」は何を意味するのか。(酒井穣) - BLOGOS(ブロゴス)


ここに書いている意見、自分は全面的に賛成。

自分よりも次の世代、ガンダム的に言うとニュータイプのほうが、あらゆる面で我々オールドタイプよりも優れているに決まっている。

で、そのことに対して自分は比較的肯定的に受け止めてもいる。

時代の流れや変化、自分の老いによる衰えを否定したり、あまつさえそれを妬みに変えて、若者を攻撃しても仕方がない。

むしろ、その若者の方が優れているという事実を最大限利用するために、会社においても社会においても権限移譲していけばいいと思う。


で、そこに加えて高齢化社会である。

高齢化社会というと、当然優れた若者の数が少なくなり、劣った老人が増えるわけなので、上記の若者優性論からするとマイナスに思える。

が、船頭多くして船山に上るという言葉もあるとおり、ときに指導者層というのは多ければいいというものでもない。

むしろ、特定の世代の人口が多すぎると、その世代の中における競争に明け暮れて疲弊したり、民主主義の絶対的な力である「数の暴力」にあぐらをかいて、思考停止してしまうこともあると思う。
団塊の世代しかり。

そもそも、社会を構成する階層のピラミッドは上に行けばいくほど、人数が少なくなるものでないと都合が悪い。頭と手足という考え方で言っても、ピラミッドというネーミングで言っても。

そう考えると優れた層である若者の人数が減って、劣っている高齢者の人口が増えるのであれば、きれいな階層を維持する意味でも、若者が上に立った方が適当であるし、全体を良い方に向けていく力が働くと思う。

少なくとも、能力の低い古い世代が数の暴力で人数の少ない優れた層から搾取する構図よりは健全だと思う。


とはいえ、自分たちの世代のことは自分たちと同年代しかわかってくれない、という考えに染まってしまうと、今の一人一票の選挙制度と加速する少子高齢化の中では、若者への適切な権限委譲というのは実現できない。

若者に権力を渡したら老人のことを弾圧するのではないか?という疑心暗鬼に駆られていては、安心して権限移譲などできないであろう。

でもそれは、古くて浅ましい世代の人間の考え方だと思う。

繰り返しになるが若い世代は我々よりも優れている。

能力的にも、精神的にも。

だから、ここは信じて若者に権限委譲していきたいと思う。

そうすれば、次の世代の若者たちは我々以上の信頼を持ってそれに応え、自分たちの世代だけのことではなく、社会全体をより良くするために導いてくれるはずだ。


そんな思いを元に、私は選挙があればなるべく若い候補者に投票し、会社であればより年若い層の役職就任を喜ぶのである。